あの年のことを書いたかつてのエントリを書いてみた
まだ途中だけど。
そして、そんな作業をしながら、改めて思う。
かつて、佐藤琢磨が大事故にあったA1リンクでのオーストリーGPでは、事故処理の間赤旗ではなくセーフティカー先導のラップが続いた。
レース後、ハインツ-ハラルト・フレンツェンなどは「事故現場を通りかかるたびに複雑な心境だった」とコメントを残した。
1994年のあの事故たち。
タンブレロを抜けてのわずかな直線の間、その後トサへのヘアピンへ向かって右にステアリングを切るドライバーに、ヴィルヌーヴの壁に残る痕跡はドライバーの目にどれだけ入ったのだろう。
タンブレロの先に見える、生命の希望の薄さを物語る痕跡はドライバーの目にどれだけ入るのだろう。
毎ラップその前を通り過ぎるドライバーは、どんな心境だったんだろう。