画像のある記事については、画像クリックででっかい画像になります;;


 

出井のライセンス剥奪・・・

id:rk9さんとこから・・・
パワーとテクニック - 廻る。日々

かつてフォーミュラ・ニッポン近藤真彦選手から「レースする資格ない」と酷評された、アレックス・ユーンというマレーシア人ドライバーがいて。
その後政府の後押しもあり、2001年イタリアGP*1からF1デビューを果たした。
そのとき私はつい、
「あんなこと言ってた近藤選手はF1これなかったけど、この事実をどう思ってるんだろう?」
と思ってしまったのは内緒だけど。
彼ですら*2シーズン残りを走りきり、翌年も参戦していた(DNQが3度ほどあったし事情があって決勝走れなかったこともあったし二度ほど出場すらできなかったし開幕戦は同僚のウェバーが地元レースでかつてのフェラーリドライバーであるサロに勝って入賞し表彰式後にチーム代表と表彰台で大騒ぎやらかしたたために7位完走したにもかかわらず目立なかったけど)のに、それよりもひどいと判断されたのか、と思ってしまったり。

*1:あのテロ事件の直後に行われ、前戦ではエディ・アーバインとルチアーノ・ブルティが交錯しブルティのマシンがタイヤバリアに埋まる激しい事故がおき幸いブルティは無事だったものの残りのシーズンをフイにしてイタリアからはチェコ人ドライバーであるトーマス・エンゲが代役となり無事にデビューしたレースであり、またキミ・ライコネンマクラーレン移籍が発表されたグランプリでもあり、グランプリ直前にはドイツでのCART選手権において1999年のモンツァで意外な活躍を見せていたアレッサンドロ・ザナルディが両足切断となる大事故にあい、アメリカで大活躍した新人ファン−パブロ・モントーヤが父親の誕生祝いにもなる初優勝をあげたグランプリ ←長ぇよ・・・ちなみに両脇からオーバーテイクされたゾンタが「クレイジーだ!」と叫んだマイケルvsミカのケメル・ストレートでのバトルは2000年のベルギーなのはさて措き1997年のイタリアGPはダイアナ元妃の葬儀が執り行われる中行われ英国チームおよび英国籍ドライバーは皆喪章をつけていたわけで2001年のイタリアGPも皆が喪章などで弔意を示していた上にこのサーキットでの死亡事故例−前年のマーシャルが亡くなった事故に限らず−がほかのサーキットに較べて多いために毎年モンツァの時期になると何かしら不安になる私だったりする ←だから長いんだってば

*2:マルケスの方がパフォーマンスは上だったと個人的に思ってる

呼ばれて出てきて倒されて